情報量が少ないほど、想像力をかき立てられることがあります。
「週刊誌の見出し」というと俗かもしれませんが、想像で埋めるというのはなかなか楽しいものです。
昔、もう二十年くらい前ですが、図書館で犯罪捜査報告みたいな資料本を読んだことがあります。
資料本ですので基本的に事実のら列ばかり。
面白みは少ないのですが、
タイトルのような事件名があったりしまして、
そこそこ人間味をかもし出すところがあるものですから、
結構夢中に読んでしまいました。
さて「かりんと慕情事件」はこんなあらましです。
(記憶があいまいです。ちょっと創作しました)
加害者Aは幼少時に母と死別した。
兄弟はなく父と二人の家庭で育った。
父はろくに働かず、まずしい暮らしだった。
Aの唯一の楽しみはかりんとを食べることだった。
かりんとを食べると、やさしかった母を思い出しAの心は癒された。
中学を卒業し、働きに出た。
給料のほとんどは父に取られ、わずかな小遣いしかAの手元には残らなかった。
わずかな小遣いでAは毎日かりんとを買った。
やさしかった母の思い出にひたるためである。
さて3月となった。
2月は28日間、日給月給ゆえいつもより給料は少なかった。
しかし父はいつも通りの金額を取っていった。
当然、残された小遣いはいつもよりも少なかった。
Aは計算した。
次の給料日まで毎日かりんとを食べることが出来ない。
生きているのがいやになったAは自殺を思い立った。
今生の別れにと、歌謡ショーを観に行った。
残ったお金で薬屋に向かい、睡眠薬を買った。
しかし残金は少なく、必要な量は買えなった。
その足で川原に向かい、
睡眠薬を飲み横になった。
しかし眠くならない。
やはり睡眠薬が少なかったらしい。
どこかでお金を盗んで睡眠薬を買い足さなければ。
Aは泥棒を思い立った。
すでに日は暮れていた。
明かりのない家を探した。
運よく留守宅を見つけ、中に入った。
現金を物色していたAは、
たんすの上にかりんとを見つけた。
思わずかりんとを口にするA
母の思い出にひたるうちに、睡魔に襲われた。
睡眠薬が効いてきたのだった。
Aは眠りについた。
日曜日の外食を終えた家族が帰ってきた。
たんすの前でかりんとを手に横たわるA。
警察に通報され、ご用となった。
(救急車だったかな?)
命に別状はなかった、と思います。
「かりんと慕情事件」
だなんて、警察も粋な事件名をつけますね。
でも私の記憶もあいまいなので、本当は違う名前かもしれません。
この資料本には
「アーメンおすみ」なるスリ(財布の中に住所が分かるものがあると、千円とか二千円とかを郵送で返していたスリ。名前の由来は失念)が出てきたり、いろいろ面白かったのですが、「かりんと慕情事件」のことだけが、なぜか私の中で色濃く残っているのです。
かりんとを見つけ眠り、
外食を終えた家族に発見された、
という家庭環境の対比が情感を誘うのかもしれません。
かりんとひとつで生かされたり、殺されたり、
人間の「生」というのは状況や本人の価値観に拠る、
ということを思わされます。
蛇足ですが、昨今の異常犯罪。
異常な犯罪は昔からあるのでしょうが、
「生」を感じない無機質なものが増えた気がします。
「生」の要求や実感がなくなっているのなら、怖いことです。
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