名辞以前の世界という聴きなれない言葉、これは詩人・中原中也が自身の詩論を語るときに使った言葉です。
解釈は各々あると思います。私なりに意訳すれば「あらゆる事象が言葉になる以前の世界を、言葉を使い表現する」ということだと思います。中也は詩を文学上最高のものと位置付け、名辞以前の世界を表現することに生活を捧げました。捧げると言うと大げさかもしれませんが、実生活は立ち行かず、幼な子を亡くし、発狂するように夭折しました。
昔、中也に興味を持ち彼の故郷である山口県で一週間ほど過ごしたことがあります。彼の詩がものすごく好きだったわけではないのですが、何か人物像に興味を誘うものがありました。取り立てて成果はないのですが、最近「名辞以前の世界」というフレーズを思い出しました。
整体操法という技術は体を変える技術ですが、身体に触れ、その奥にあるものを変えていく技術と思います。ですからいかに用いるか?ということを大切にします。
「教えた技術が活用出来てない」
と井本先生にお叱りを受けます。それが整体の難しさと思います。
門下生(内弟子)生活が終わりに近づいた頃、
「いそやくん、きみもそれなりに取れるようになった。これからは如何にそこに味をつけるかだね。味付けっちゅうやつだね。そうやって自分のスタイルを作っていくんだね」
うれしかったです。そしてあらたな課題をいただいたのでした。技術に奥行きがなければ整体操法とは言えないのだと思います。
奇縁とでも言うのでしょうか、私は門下生として井本先生のいらっしゃる山口県で過ごしました。そして先生のご厚情で湯田温泉に何度か行かせていただきました。そこはかつて訪ねた中也の生家(現在は記念館)があるところです。深夜に宿を出て散歩しました。
中也記念館はそこにありました。私の記憶は頼りなく、甦る闇景もそこにはありませんでしたが、しばしノスタルジーに浸ったのです。
ここが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
中原中也「帰郷」の後半
中也にとっては本物の帰郷ですが、私にとっても帰郷の心境があり、門下生としては来郷と言えました。尾羽打ち枯らし帰郷した中也の詩には胸がつまり、自分の修行の先に光を思い、置いてきた妻に責任を感じ、あれやこれやと気持ちが巡るのでした。
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと、
さらさらと射してゐるのでありました。
≪中略≫
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
中原中也「一つのメルヘン」
郷愁に浸る私に「あゝ おまへはなにをして来た」は厳しく突き刺さりましたが、「ひとつのメルヘン」はいろいろな気持ちをただただ、「さらさらと」流してくれました。
話は変わりますが、記念館で中也の恋人・長谷川泰子が太鼓を叩いている映像を昔見ました。既に老人の域でしたが、その伸びやかな叩き方は爽快でした。天衣無縫、身勝手、とも言われる泰子ですが、魅力ある女性ということがよく分かりました。
さて、名辞以前の世界、皆さんは整体に何を期待されるでしょうか?
それ以前に整体と何の関係があるの?
でしょうか?
細かな解説はさておき、私には関係があるように思えるのです。
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