人間は結局どうなったら健康なんだろう?
そんな基本的な疑問です。
病気が無ければ健康。
症状が無くなったら、健康。
だとすると、あの若者の活気のなさは何だ?
子供のつまらない顔は何だ?
意地汚くなったようなあの人は?
うつろな目をした年寄りは?
そばに居ても居ないようなこの人は?
体の形がどう、とか
足の長さが左右でどう、とか
それで何が測れるのか?
その時、結論として出したのは、
優れた治療であるなら、
優れた人間への思想があるはずだ、
というものでした。
どうなったらいいのか?
それが無ければ、人を診ることは出来ない。
どうしたらいいのか?
そこに豊かな思想が無ければ、治療家として物足りない。
「ここが悪いのでなおして下さい」
下手な修理屋、エンジニアの如く、言いなりで修理をするのが治療家ではないのでは?
そんな私の疑問に答えを出していたのが整体でした。
整体の人間観、世界観は広く、奥深いものでした。
「整体ってすごい」
非常に単純な思いのまま整体の世界へのめり込んでいきました。
そしていくつかの出来事の末、井本邦昭先生の下で門下生(内弟子)となりました。
思想を押し付ける気は無いですが、
相変わらず「整体はすごい」と思う毎日です。
それが無ければ、人を診ることは出来ない。
どうしたらいいのか?
そこに豊かな思想が無ければ、治療家として物足りない。
「ここが悪いのでなおして下さい」
下手な修理屋、エンジニアの如く、言いなりで修理をするのが治療家ではないのでは?
そんな私の疑問に答えを出していたのが整体でした。
整体の人間観、世界観は広く、奥深いものでした。
「整体ってすごい」
非常に単純な思いのまま整体の世界へのめり込んでいきました。
そしていくつかの出来事の末、井本邦昭先生の下で門下生(内弟子)となりました。
思想を押し付ける気は無いですが、
相変わらず「整体はすごい」と思う毎日です。
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